2021年08月02日 22:39
Mr.&Mrs. スミス
殺し屋でありながら、幸福な人生を送る若き夫婦。ジョン・スミスとジェーン・スミスは、非常に優秀な殺し屋であったが、この2人は異なる組織に属し、更には、敵対していた。それは、アサシン組織であるから、ルールには非常に厳しく、仕事に失敗したり、正体が暴かれると、ペナルティによって死の運命が用意され、それが、ダークサイドの組織の秩序を保って居る。仲間にこそ厳しい理不尽。とある奇妙な依頼を受けて、現場にて2人はかち合い、互いの正体が暴かれる事になる。果たして、2人の運命や如何に。
出逢いは物語が始まる6年前で、2人はそれぞれ旅行先のコロンビアで出逢った。折しも、現地では警察が動員されている事から、要人と目される独りが殺害される事件が起きており、外国人で独りのツーリストは、片っ端から拘束されるのであった。その最悪のタイミングに、ホテルのバーに居たジョン、エントランスに入って来たジェーンは出逢ったのである。惹き付けられるように。
いわば、政府による拘束は見せしめであるが、人を裁く行為とは、人間の美しさ、生きる悦びからすれば、公共の利益や面子の為の見せしめにして、リスクの多い後進国には、昇り調子にあらざる、機械的な行為であり、ペナルティではあるまいか。
これに、真っ向から抵抗した、始まりは、愛の物語のエントランスであり、美酒に酔いしれるかのような、電撃的なショックがある。つまり、2人は機械、血の通わないものに対しては、抵抗しているのであり、その輪郭は愛に気付いた事、芽生えによって、更にハッキリした本能による機械への抵抗になる。更には、形式に対する抵抗は、コロンビアでの出逢いが早々にハネムーンへと昇華する事にあり、ここにも、マリッジとは形式に左右されず、いつでもハネムーンのように、始まりのベルを鳴らして良い、本能への傾きがある。
パートナーとして、互いに足る、足らざるを補完しながら、職業を明かす事はセキュリティ上、タブーであるから、嘘の上に成り立った危うい関係とは言えようか。
本業は冷酷そのものの振舞いであり、およそ、人との信や愛の上に成り立ったミッションでは無いが、天使で悪魔、にして、獰猛な野獣のような、鮮やかな手口による仕事振りを発揮する、暗躍する。だが、全ては仕事上の義務からの殺しであり、ここには、プライベート、夫婦生活に観せるような甘美さ、友人や欲望を交わした新たな感情を簡単に踏みにじる、悪魔的な冷酷な言葉や鮮やかな手口が散見されるのだ。
だから、天使で悪魔、とは、彼らは金の為、生きる目的の為には手段を選ばないが、それは、公共のミッションに限られるクールなプロフェッションであって、ブライベートでは、極めて幸福な暮らしを送っている、に過ぎない。また、2人がそれぞれ所属する組織は、敵対しているが、ジョンは小さな佇まいの事務所を装った民のヴェールにあるが、片や、ジェーンはハイテクかつ最先端のシステムや装備を有する、特務機関のようなのだ。だが、無論、秘密基地だからアマゾネスのように女性エージェントばかりで、精鋭で鳴る公のシステムにより運営される。
だが、小振りのジョンの側にも利点はあり、つまり、全てが管理され、心まではコントロールされていないから、同僚のエディなどは、ジョンのピンチには危険に晒されながらも、助け舟を出してくれるなど。この、組織的実力としては弱いジョンの側には、友情が生きていて、これが、物語の布石にも成っている。
アサシンのように、心を尽くさない、優しい心は足でまといに成ってしまう冷徹なプロフェッションを持つから、夫婦で殺し合いが出来るだろうか。これは、組織の命令やルールに反したなら、追い詰められた個に何が出来るか。バブリックとプライベートとの、いずれを取るか、欲望の為には愛を捨てられるか、の究極の選択にして、人生の問い、では無いだろうか。
この厳しい選択肢が現れた事によって、前途洋々たる未来に突如として変事が起きるのだ。前半のクライマックスに、互いに本業がバレた日の晩餐にて、殺意を嗅ぎとったのか、2人は大変ぎこちなく杯を交わし、ディナーを口にするも、フォークや皿のガチャガチャしたノイズが、震えや警戒感から、ハッキリと聞こえ、その冷や汗に塗れた表情やセリフから伝わる緊張感は初夜の武者震いにも勝るだろう。これは、当事者にはたまらないが、一種のアイロニーとして楽しめるかも知れない。
また、この愛から憎へと、夫婦間に流れていた、好ましい感情は、一転して、殺意、特に組織のルールに背けば、酷い目に遭う事が約束されているから、この闇社会との契約における約束は、鉄鎖のように硬いのだ。約束の愛、を超える感情は皆無ではあるが、もしくは、力の原理がそうした、個の人生を潰そうとする、大きな物語とは、水魚の交わりのように、アンフェアな支配関係には、ビジュアル的で分かり易いだろう。
物語の時間、スケールは大した事は無いが、航路の変転による、アサシンの流浪があったり、夫婦間での対決には常識的には埒外のダイナミズムがあるから、全く退屈はしない。また、布石の配置が、あたかも、棋聖や囲碁の達人のように見事だから、思わぬ小石がキーパーソンに成るなど、そこには、不運の蔭も観られるものの、悲劇では無い。これは、序幕における、夫婦の悩み相談のカウンセリングにおいて、不仲な夫婦には、心理学が生きて来るが、むしろ、ワールドワイドと言うか、スケールの大きさ、とりわけ、互いの本業を知る前には、ジョン、ジェーンの間には、問題を探すカウンセリング、にはなり得ず、スターダムに昇り詰め、洋々たる未来を、恋人の瞳に映るビジュアルに重ね合わせられた、のでは無いか。
本業を知って、2人は烈火のように感情をたぎらせるが、その本心には、士気の源、には、死に近いダンスを舞踊り、炎の舞、剣の舞、は抜き差しならない緊張感がある。ただのアクション映画には収まり切らないドラマがある。