2021年09月12日 17:47
ナイロビの蜂
部族やテロによる抗争の耐えない国の理不尽と言うべきか。アフリカ、ケニアにて駐在するイギリス人外交官ジャスティンは、ある日、砂漠に行った妻が何者かに殺害される悲劇にまみえる。妻テッサは正義感が強く、難題を抱えており、その秘密の巨大さから、アフリカの大地に包まれるようにして殺された。犯人は、企業権力とも、盗賊の手によるとも、疑われるがはっきりしない。そもそも、ジャイアントとは、蟻のように弱い個を踏み、強大ではあるものの、如何なる英雄と目される人物も、大したこれは無い。むしろ、たった一人でジャイアントたるのが不可能なだけで、実際には、権力者や武器商人らも、組織ぐるみで悪事に手を染めるのでは無いか。
だから、犯人探しも、ジャスティンの探偵が、全く妻を殺した犯人に行き当たらないのも、貧困国や部族政治といった負の要素による支配とは、組織やアフリカの歴史や慣習が産んだものだと言えなくもなく、従って、謎の多いアフリカの大地に帰って行くように、突如、居なくなるミステリーを、ジャスティンもまた、手探りのまま追うのである。
だが、エリートながら青臭いジャスティンは、外交官として、政府広報のような、持論も真実も持たない言葉を吐くだけで、いささかも凄さや個性も無い仕事をしていたが、それを変えたのが、テッサとの出逢いだったのである。いわば、彼は将来の妻に論破されたのだが、奇妙にも二人は敵として出逢いながら、惹かれて行くのだ。ジャスティンの記憶の中のテッサは幸せそのものだが、炎上し横たわったジープに、焼死体となったテッサと、子を身籠る幸せ溢れる甘い生活との落差は酷いものがある。
正直、ストーリーは荒く、描写力不足、ビジョンの欠如など、次第点が付くが、ジャスティンに降り掛かった、天国と地獄、の相反するストーリーが、動的に展開する。前半は、死亡に対する現実から逃避するように、幸せだった甘い生活の記憶がメインプロットを張る。だが、復讐のための独自の探偵、リサーチもまた、愛に基づく行為だから、この全体を貫くメインプロットの光に対する、サブプロット、つまり、暗い盗賊やテロリストなどの闇は、サブプロットに押し込められるわけとは、どんな大義名分があれ、殺戮や遊撃などのスパイ活動は、許されざるからだと思う。
果たして、死んだ妻テッサが如何に危険なリサーチをして居たかは、彼女の軌跡を、ジャスティンが追って行く事で明らかに成る。だから、勇猛果敢に、ジャイアントに立ち向かって居たテッサの偉大さがあるも、ジャスティンからすれば、彼女は、妻の域から抜き出る事が無い。永遠の妻であり、それは、彼女が挑んで居た英雄的行動を、ヒーローとしては見なさない事でもあり、恐らく、正義感の強いテッサには、不本意な夫の溺愛なのでは無いか。同じ男性として、ジャスティンの気持ちには共感するが。
つまり、ジャスティンには偉大すぎる妻であり、ジャスティンには、妻なき以降の人生を掲げる大義名分に成ったのが、この事件だったと言えるだろう。テッサに正義があった事を思えば、ジャスティンは彼女の背を追うばかりであり、死した今となっては、そこには天使の輪と白き羽が生えているかも知れない。むしろ、生前よりも、死後の方がテッサの存在は大きくなり、そびえる天蓋として、ジャスティンが続く事になった支配者だと言えるかも知れない。
そして、現地を覆う暗いリアルとして、何より熾烈なのが部族政治であるのでは無いか。これもまた、イギリス人外交官であり、いわば、上級文民のジャスティンでさえ、現地を支配する暴力、理不尽な支配者には抗し得ないのだ。彼の中には、リーダーシップを張り、先頭切って走らせる、生けるテッサの記憶と、負の要素として、死せる部族ら、恐らくは、犯人探しに繋がる存在の双方が、光と闇、を対比的に背負うのだが、いずれにしても、死者を天蓋とする以上、このストーリーに、強い光は見えて来ない。