2021年10月30日 01:00
ルパン三世 ハリマオの財宝を追え!!
戦後50年を記念して作られた作品。戦時中、アジアを席巻した日本軍やイギリス軍のいずれにも畏敬された、大盗賊ハリマオ。彼は両国から奪った金銀財宝を、アジアの貧しい民に分配して、アジアからもリスペクトされていた。だが、精鋭で鳴る日本軍もさる者で、ハリマオとは戦場にて激しくやり合った仲であった。ハリマオは敵兵である筈のアーチャーを助けたが、それが、今回の物語りの依頼人にして、ハリマオから財宝の在り処を知り、ハリマオの英雄的な仕事を継ぐ人物であった。アーチャー卿は立派な紳士である。果たして、ルパンはこの英雄と戦うのか、組むのか、或いは、譲るのだろうか。
鍵となるのは、三体の像であり、熊、鷹、猿、であった。像自体がレトロで価値があるが、莫大ないわば、ハリマオ幕府の埋蔵金、と言う利益に対する嗅覚が利くか、どうかも、同じく生ける伝説であるルパンにも、大泥棒の同業者として、大変に彼はチャレンジングに成れる。何故なら、ハリマオの財宝を引き継ぐ事は、戦争が莫大な資金を必要とする不都合な真実を明らかにするからで、日本軍の財宝と言うのは、いささかフィクショナルなるも、ハリマオに対する欲望を露わにしつつ、後継者たらんとするルパンのトリックスターぶりは健在である。
だが、面白い事に、本作にはもう一人の後継者が存在し、それが他ならぬアーチャー卿なのである。彼はルパンとは異なり、ハリマオに救われ、リアルタイムに戦争経験があって、戦場の苛酷さも、死についても、仲間や自身も生死の境を、さまよった事から熟知した老紳士であるし、元エージェントとして実力もある。また、007ボンドのような渋い嗜みを備えつつ、不二子にはお世辞も言えるような、異性としても魅力的な老人である。
彼こそが、ハリマオの文化的な、精神の後継者であり、ルパンのようにジャイアントキリングに基づく、実力による先達の圧倒や、革命的行動では無いが、ルパンが卿を超えられない理由とは、果たして革命的行動が100%正しく、正統性のある行為か?、と言う問いがあると思う。更には、正統アーチャー卿にとっては、ハリマオとは同時代の人々が愛したように、戦後50年経った今でもリスペクトに値する英雄だという事だ。しかし、ルパンにとっては何より同業者の大泥棒であるし、革命的行動の引力と言う、いわば正義と言うトリックスターからすればトラウマを克服するには、実力しか無い。
だから、アーチャー卿と対立関係にあるのは、ネオナチを彷彿とさせる、時代錯誤な秘密結社ネオヒムラーだけでなく、実は、ルパンとの共闘関係から、味方になり得るルパンこそが、隠された後継者争いのダークホース、と言う事になる。だから、ネオヒムラーは、ハナからグレートゲームのテーブルには付いていない。後継者候補として、その資格に無いからだし、何ら有効なカードを持たないし、ボス自身がジョーカーのようであり、正統なリスクを負わないネオヒムラーは、やはり、グレートゲームのプレイヤーとは言えない。
ただ、敵は蜘蛛の巣を巡らしているだけだから、であり、存在も秘匿して居るし、闇のヴェールに覆われた秘密の正体もある。それは、悪の巣でもあり、ボスの正体は悪趣味な女装によるものだが、物語りのプロットと秘密が明かされる妙は、さながら、知的な糸が張り巡らされ、陰謀論における勝者は、何とネオヒムラーであり、秘密のボスだと言う事になるが、マヌーバーを巡らすだけで、実力も基盤も無い者は、ハリマオの正統な後継者たり得ない事は明らかである。
だから、不思議なのは、武装化して多数の兵隊を擁し、灼熱の野望も燃えたぎるネオナチ、酷似するネオヒムラーが組織なのに何故、無力かと言えば、ルパンらの少数精鋭、スター軍団の物語りを乗っ取るのは不可能だからで、余程、ルパンらが無力化されないと、スターダムのマクロは矮小化されて、ルパンを凡人にミクロにする事は出来ないからである。
従って、ルパンをコテンパンにのしてしまう豪傑ゲーリングでさえ、ネオヒムラーの矮小さや、歪な人間群像を作り上げており、彼らがルパンらやアーチャー卿をしつこく追尾して、莫大な財宝をかっさらおうとする単純炸裂な行動の背景には、闇のように深い策が仕込まれて居るのだ。
だから、闇が深いほどに、対立するし、正統さを持つアーチャー卿には、美しい孫娘ダイアナが居り、ルパンも一目惚れする程の、晴れ晴れしさであるが、彼女が老アーチャー卿を引き継ぐ次世代の希望であるのに対して、指摘して来たように、アーチャー卿はハリマオの後継者であり、いつぞや果てるかも知れない身の上に比して、物語りを牽引するのは、若い衆である、ルパンらであり、また、ダイアナだと言う事である。ここに、ルパンの気質としては、うら若きダイアナに惹かれながらも、トリックスターとして門外漢へと退くべき正義正統のロジックは、アーチャー卿のベテラン故の包容力によって抱き止められ、矛盾には愛が必要だと言う、あらゆる解が試みられる、火薬庫の様相を呈する。つまり、ネオヒムラーは次世代が抱えるべき課題でもあり、そこに包容する意味、価値があるかは、極論を担う政治的なボスやリーダー達の資質、才能による、と言う事では無いだろうか。