2021年12月01日 11:37
アーヤと魔女
アーヤは孤児院にて、すくすくと育ち、自由奔放でちょっとずる賢い少女に育って居た。アーヤが来たのは、まだ、幼い赤子の時に、母親であるミステリアスな雰囲気の魔女から、孤児院に預けられたからだが、本作において、過去を突つかれたくないのは、アーヤだけで無く、大人達、つまり、魔法使いの眷属である、魔女ベラや、王様のように振る舞うマンドレークも同じである。
果たして、「子供のいえ」にて、王様のように振る舞って居たアーヤは、その負けず嫌いな性格から、どうやって厳しい大人のいえ、にて、自分らしさを取り戻して行くのだろうか。
正直に言って、ベラは酷い庇護者であり、アーヤを家族として、養子として、しっかり育てようとする意志の無い里親失格。しかし、ベラの立場は非常に強固であり、それは、魔法使いの家、と言うか、マンドレークが敷いている父権的な家庭、3人の共同生活は磐石だから。この理由は、2人が魔法使いであり、特殊な力を持って居るからだが、世間的にはマンドレークの小説家としての認知は大した評価を受けていない。だから、彼はいつも、苛苛して居て、とても取っ付きにくい。
しかし、彼は、この魔法使いの家においては、小さなデーモン達を操る王様のような立場なのだ。家来を抱えた偉い人物、父権的な立場、そして、魔法使いと言うポジティブなのに、世間的にはガラパゴスのように、つまらない小説を書く、しがない、中年男性に過ぎない。この矛盾は、異なる世界、封建的で何をしても、或いは、せずとも許される立場に対しては、世間の評価とは一切無関係と言う事で、アーヤに厳しく当たるマンドレークは、仕事振りには、世間から厳しい評価を受けていて、これを、改善するには、新参者であるアーヤと、奇妙な家族関係を営んで居る2人の男女の魔法使い達とが、ウィン・ウィンの関係を築く他に無いのだと思う。
ただ、マンドレークが魔法使いの家では、王様扱いだから、彼の立場を支えているものは、デーモン達の小さな家来、に、ベラと言う、荒野の魔女とか湯婆婆的な、烈女肌のアーヤには苛酷に扱う魔女ですら、敬語を使ったり、売れない小説の印税代わりに、薬作りで生計を支えている。更には、アーヤには女中としての扱いしかしないから、まさに、ガラパゴスな家中は、封建時代であり、ミドルクラスの家の立ち構え、外観に比して、実際には、城のような力量や制度の中に聳える豪奢な、真実の姿を抱えている。
だから、魔法使いの家には、親友カスタードを怯えさせたような、塔の中の生首とか、アーヤの妄想が爆発する、居場所にして、大成すべき大切な働きの舎だと言えるし、むしろ、学びの舎として、アーヤが自分らしさを取り戻して行くプロセスを、文脈から感じ取れると面白い、と思う。
また、存在感が不明と言うか、トーマスは魔法使いに調教されて居るから、野良猫になっても生きて行けるだろうし、アーヤも子供のいえ、にて、王様のように、周囲から尊重され、甘やかされたり、と言うか、このアーヤやトーマスの所属の背景には、子供のいえ、大人のいえ、との二つの世界の対峙が、実は、平和の影に隠された、力による関係性の真実かも知れない。
何しろ、ベラは苛酷、マンドレークは無関心、で全く彼女の才能は尊重されて居ない。一方で、アーヤの魔女の子である事は、彼女の特別さ、を力では無く性格や、意中の人を操る計算高さと、何処かで競い合って居る。アーヤは、間違えて親友カスタード、と呼び掛けてしまうトーマスは、やはり、大人のいえ、に地の利が置き換わっても、人は同じような居場所に、愛着を湧き上がらせるものだし、烈女ベラに代表される魔法使いの眷属は、普通の人々とは何が違うのか、を、如何にもミドルクラスの一軒家の中に異世界が、城のように描かれ、華美なテーマパークとは、一味違う、生産する、働く、生きる、生活感のある居場所として描かれる事は、魔法使いの家を、より正体不明にミステリアスにして居る。アーヤを中心軸として、人間と魔法使いが共存する、カオスを抑え込んで平和を保って居るものは、中心にある、立つ人のあり方なのでは無いか。