2022年09月29日 17:36
マルコムX
アメリカ国民の中でも、最大の反逆児とされるマルコムX。何が彼を英雄へと駆り立てたのか。それとも、人であったのか。そのカリスマの真相は、ストーリーの中で明らかにされて行く。どん底を味わった青春時代。熱心な牧師であり、黒人の為に働こうとした活動家の父は殺されているが、これに対して、幼少児であったマルコムは何を想っただろうか。彼は現実に絶望し、また、父とは違う自分なりの道を歩もうと四苦八苦する。果たして、マルコムはどうやって、英雄「X氏」に成ったのだろうか。
だが、彼の生き様から想われる所というのは、彼は、必ずしも、ただの不器用な不良少年では無く、悪い中にも愛されるべき気質があるのであって、そこを、見抜いた人々、大人達との出逢いに、プライドの高い彼は、徐々に気付いて行く。むしろ、彼は才のある黒人であるがゆえに、職業差別などがある現実に直面して、その中で、理想というリアリティに適応しただけでは無いか。つまり、リアリティとは戦い方の変更であり、新たなシフトを敷くという事であり、その意味で、彼の生き方は正しいと言えるのでは無いだろうか。
何故なら、彼は孤児院から始まって、鉄道の給仕、ギャング、泥棒に10年の刑務所行き、という、あらゆるどん底を知って居るからであり、これを、若さ故の剛腕だけで乗り切ったという事では無いし、力ありきゆえに、より、厳しく暗い闇に堕ちる事があるからである。彼は、何によって自分が生き延びる事が出来るか、を、慎重に本能によって見極めて居るように思われるのである。だから、厳しい渡世も、マルコムにとっては揺りかごであり、彼は、父親を白人過激派によって殺され、福を奪われた事によって、確かに一度は白人全体を恨んだ。
それは、イスラム教との出逢い、によって、熱心なムスリムとなる事で、正論のアジールがあった事で、彼は、ギャングスターの大物にも、危険なテロリストにも成らずに、生き場を得る事に成ったのでは無いか。この根底には、社会の多様性があり、シェルターとなる明確な安全地帯も必要であろうが、それよりも、アクティブに、ジャイアントに挑む事が出来る対象が居て、それに対して、フェアプレーによって対峙するチャンスを得た事が、彼を救ったのでは無いだろうか。つまり、巨星というのは、自他を磨き上げる対象であり、ここに、存在性を軽んじる事は、例えば、モラルの不毛を招く意味に成る。
だからこそ、マルコムは自らが大きな存在に成ろうとしたのであって、ここに置いて、ストイックで頑迷潔癖である宗教家の強靭さが、心に響き、また、大きなアイコンとなって、腑に落ちるのである。彼にとっての目標とは、遺伝子的にジャイアントそのものであって、手負いのビーストでは無いし、また、それが立証される事に、パトロンと言う意味で恩人でもあるギャングのボス、アーチーは彼にとっての目指すべき巨星では無かったのでは無いか。
彼は、欲望を否定するような聖人では無かったし、宗教性は父が牧師である、というだけで、彼は、唯一人の自分自身には正直に生きて居たと思う。この、英雄色を好むは、多くの人物に共通するものであって、また、何を信じているか、も、憎んでいるかも、大事の前では些事では無かろうか。常識的だとか、モラルが才人の生き様を投影して、スクリーンに映し出す事は出来るだろう。だが、現実に存在したXと、理想の世界で描写されるマルコムとは、唯一人であり、その個こそが、銀幕世界を超える大銀河の漂流者ではあるまいか。
だから、彼は、ストーリーの中で美化されているとは思わないし、だが一方で、彼の遍歴からの劇的な変化とか成長といったものも、リアリティに対応した行動の産物であって、その全てが、聖人君子のような善意によるもの、とは、さほど真実と思われないのである。つまり、彼にとっての「生きる」の意味とは、英雄の道、であって、その過激派とも観える活動を通して、自然発生的に起こったような、善と悪。つまり、彼は邪魔立てするに過ぎないものは諦観して、華麗にスルーしつつ、その受容者となるべく器があってこその、Xでは無いだろうか。それが、彼の異常なる愛と遍歴の拠り所では無いだろうか。
だが、彼の生き様から想われる所というのは、彼は、必ずしも、ただの不器用な不良少年では無く、悪い中にも愛されるべき気質があるのであって、そこを、見抜いた人々、大人達との出逢いに、プライドの高い彼は、徐々に気付いて行く。むしろ、彼は才のある黒人であるがゆえに、職業差別などがある現実に直面して、その中で、理想というリアリティに適応しただけでは無いか。つまり、リアリティとは戦い方の変更であり、新たなシフトを敷くという事であり、その意味で、彼の生き方は正しいと言えるのでは無いだろうか。
何故なら、彼は孤児院から始まって、鉄道の給仕、ギャング、泥棒に10年の刑務所行き、という、あらゆるどん底を知って居るからであり、これを、若さ故の剛腕だけで乗り切ったという事では無いし、力ありきゆえに、より、厳しく暗い闇に堕ちる事があるからである。彼は、何によって自分が生き延びる事が出来るか、を、慎重に本能によって見極めて居るように思われるのである。だから、厳しい渡世も、マルコムにとっては揺りかごであり、彼は、父親を白人過激派によって殺され、福を奪われた事によって、確かに一度は白人全体を恨んだ。
それは、イスラム教との出逢い、によって、熱心なムスリムとなる事で、正論のアジールがあった事で、彼は、ギャングスターの大物にも、危険なテロリストにも成らずに、生き場を得る事に成ったのでは無いか。この根底には、社会の多様性があり、シェルターとなる明確な安全地帯も必要であろうが、それよりも、アクティブに、ジャイアントに挑む事が出来る対象が居て、それに対して、フェアプレーによって対峙するチャンスを得た事が、彼を救ったのでは無いだろうか。つまり、巨星というのは、自他を磨き上げる対象であり、ここに、存在性を軽んじる事は、例えば、モラルの不毛を招く意味に成る。
だからこそ、マルコムは自らが大きな存在に成ろうとしたのであって、ここに置いて、ストイックで頑迷潔癖である宗教家の強靭さが、心に響き、また、大きなアイコンとなって、腑に落ちるのである。彼にとっての目標とは、遺伝子的にジャイアントそのものであって、手負いのビーストでは無いし、また、それが立証される事に、パトロンと言う意味で恩人でもあるギャングのボス、アーチーは彼にとっての目指すべき巨星では無かったのでは無いか。
彼は、欲望を否定するような聖人では無かったし、宗教性は父が牧師である、というだけで、彼は、唯一人の自分自身には正直に生きて居たと思う。この、英雄色を好むは、多くの人物に共通するものであって、また、何を信じているか、も、憎んでいるかも、大事の前では些事では無かろうか。常識的だとか、モラルが才人の生き様を投影して、スクリーンに映し出す事は出来るだろう。だが、現実に存在したXと、理想の世界で描写されるマルコムとは、唯一人であり、その個こそが、銀幕世界を超える大銀河の漂流者ではあるまいか。
だから、彼は、ストーリーの中で美化されているとは思わないし、だが一方で、彼の遍歴からの劇的な変化とか成長といったものも、リアリティに対応した行動の産物であって、その全てが、聖人君子のような善意によるもの、とは、さほど真実と思われないのである。つまり、彼にとっての「生きる」の意味とは、英雄の道、であって、その過激派とも観える活動を通して、自然発生的に起こったような、善と悪。つまり、彼は邪魔立てするに過ぎないものは諦観して、華麗にスルーしつつ、その受容者となるべく器があってこその、Xでは無いだろうか。それが、彼の異常なる愛と遍歴の拠り所では無いだろうか。