2023年01月31日 23:40
アイアンガール FINAL WARS
アイアンガールは何と戦って居るのだろうか。
彼女の強さには孤高、があり、美しさには残酷さがある。矛盾を持った存在で、兵器にすら喩えられるほどの強さが孤高である理由なのだろう。人間の肉体と、機械の部分とが大半を占める、アイアンガールの変身シーンはお約束と言える。ストーリーは、特撮ものにありがちな悪を挫く予定調和と言うべきだが、映画的なシークエンスの美と、アクションとしての迫力があって、バランスとしては、強く優しく美しく、なので、アイアンガールを超える存在は前作までは居なかった。しかし、そこに、アイアンガールこと早乙女クリスへの復讐の為に、自らもアイアンガールとなったダイアンが台頭して来て、2人は中々良い勝負をする。ストーリー全体の支配が、「出来る女性の力」というか、荒廃した世界観で、悪党も多い中で、男性を魅了する美貌を備えているも、それすらを砕く彼女らの実力によって、善悪が決められる。アイアンガールの自我を支えていたものは、正義であったので、漫画的な世紀末の覇王というか、異性なので「女王」として、ストーリーが成り立って居た。
それが、ダイアンの存在感と戦闘力によって、変えられたらどうなるか、という問いの答えは、戦いが終息するまでは観えて来ないし、女性として、力を超える美、なのか、強いから美しいのか。単なる戦闘マシンとして、敵を倒す事だけが正義となると、それは、全く正義では無い訳だ。世界観は『北斗の拳』に似ているし、大人の正義と言うべきか、悪党にもそれなりに悪に走る理由があって、また、アイアンガールそのものが悪、だとされる事に対して、武力で応酬すれば、それは、正論に対する逆ギレでしかないのだ。
気に掛かるし、目立ちまくりなのは、やはり、アイアンガールのボディスーツだ。荒廃した世界なので、物資も少ないし、兵器も最新のものが無い軽火器で戦うバーチャルな世界なので、弾丸が効かないアイアンガールの独壇場であって、「お立ち台」のようなものでは無いか。つまり、ディテールに凝った一流コスプレイヤーのようなアイアンガールとは、この砂漠と荒野しか見当たらないような、第三次大戦後の世界に対して、男性陣にはあくまで硬派である事を強いるのである。だが、クリスはあられもない姿で戦うから、悪党にとっては、まずは自分の煩悩との戦いとなり、それを自制する事が要されるのでは無いか。
つまり、アイアンガールを倒せるのは、煩悩をすら殺せる悪魔的なヒールであるか、同性の強者でしか無い。その役柄を努めるにはダイアンでは荷が重いのである。それは、彼女が弱い女性だからと言う事では無く、実際には、正義と悪とが逆転する事で、悪魔では無い事を証明する、美しい愛の人がダイアンには居るのである。独壇場のアイアンガール、という、最強アイドル達が女性の世界を支配しているのに対して、男性陣は雑魚のヒールとか、善良な常人ばかりで、戦闘力としては心許ない。これは、女性が支配する新世界であって、ひとつの未来なのかも知れない。
月並みだが、男と女との戦いで、そこには、匪賊相手の和解とか恋愛とか、緩衝材となるストーリーの柔らかさは無い。更には、最終兵器サラの存在は、アイアンガールも手を焼く始末であるが、彼女らこそが戦争の元凶では無いか、と、使い方を誤れば、最悪の惨禍を起こす事を表すものだ。実際に、最終兵器は見境なく、ジェノサイドをするだけの存在になり得る危険性が観えている。こんなにもディストピアが酷いから、男女の諍い、と言う程度の平凡な紛争は幸福の裏返しでは無かったか、とすら思える。
幸福は過去の世界には確かにあった。ただ、刻をただ流れるものとして許さず、「今」を過去にしない事から、幸福を守るには、現実の世界にしがみ付いて行く事で、それぞれの一所懸命でしか無い。だが、情勢を変えられるアイアンガールは、現実の世界を流れて行く「旅人」であり、それが枯れたバーチャルな世界のリアリティなのだと思う。一見、この世紀末の覇権争いには勝利者は居ないようだ。しかし、彼女を抱き止めた者が「戦い」の勝利者になるのである。